名古屋高等裁判所金沢支部 昭和40年(う)8号 判決 1966年7月28日
本店所在地
福井市元町八二一番地
株式会社 前島商店
右代表取締役
前島万太郎
本籍
福井市佐佳枝中町八四番地
住居
同市佐佳枝町三丁目一、四一三番地
株式会社 前島商店代表取締役
前島万太郎
大正三年一月二三日生
右各被告人に対する法人税法違反被告事件につき昭和三九年一一月一一日福井地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、各被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官永田敏男関与の上審理し、次の通り判決する。
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人株式会社
前島商店の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人井田英彦、同小酒井好信共同名義の控訴趣意書、控訴趣意補充書、昭和四〇年一一月二二日附、同年一二月二日附各陳述書及び、昭和四一年二月一日附陳述書(同年五月二四日附訂正申立書により訂正したもの)に記載されている通りであるから、これを引用する。
控訴趣意第一点、事実誤認の論旨について
所論は要するに、原判決は、原判示第一の事実に関し、被告人株式会社前島商店(以下単に被告会社と略称)が昭和三一年六月一日以降昭和三二年五月三一日までの事業年度において、昭和三六年押第五号証第六二号の七から一九の各普通預金元帳預入の金額の内合計六、三五四、〇九三円に相当する金額につき売上を除外し、更に簿外預金の受取利息合計五三四、八七九円の計上を除外し、原判示第二の事実に関し、被告会社は昭和三二年六月一日以降昭和三三年五月三一日までの事業年度において昭和三六年押第五号証、第六二号の一六から二七の各普通預金元帳預入の金額の内合計五、九九四、九四九円に相当する金額の売上を除外し、更に簿外預金の受取利息合計七〇五、三二〇円の計上を除外し、原判示第三の事実に関し、被告会社は昭和三三年六月一日以降昭和三四年五月三一日までの事業年度において昭和三六年押第五号証、第六号の二五から三五及び同押五号証の四一の各普通預金元帳預入の金額の内合計四、一九一、八〇〇円に相当する金額の売上を除外し、更に簿外受取利息合計一、〇五三、一〇八円の計上を除外した旨認定しているけれども、右認定の基礎となつた仮空名義普通預金、定期預金及び定期積金は何れも被告人前島万太郎(以下、単に被告人と略称)及び同人の弟前島宗市の個人所有資産であり、被告会社所有の簿外資産ではない、と云うのである。
然しながら記録を調べ、原裁判所が取調べた証拠を検討し、当審における事実取調の結果を総合すると、原判示事実は原判決挙示の証拠によつて優に認めることができ、その認定に誤があるとは認められない。
右各証拠によれば、本件架空名義普通預金は(ただし預入金額中大口預入金、及び百円未満の端数のついた預入金を除いたもの。後記の如く被告会社は毎日の現金売上金の一部を除外して小口で右架空名義普通預金に入金していたと認められるので、大口預入金は集計から除いてあり、又百円未満の端数のついた預入金は、そのほとんどが右普通預金の利息であり、利息以外のものも、後記の如く被告会社が売上から除外して預入れたものは、三千円、五千円の如く端数のない金額になつているので、右売上除外の金と性質を異にすると認められるので集計から除いてある)、被告会社が公表売上金を福井銀行佐佳枝支店に普通預金として毎日預入する都度、同一機会に右支店へ預入されたものであること、即ち被告会社は、その駅前店及び大名町店とも、毎日の現金売上金を売上げの翌日に右銀行支店に設けた普通預金に預入していたもので、右銀行支店の集金人が毎日被告会社の右両店を訪れ、同一の集金人が駅前店及び大名町店毎に公表預入分の現金を渡される都度架空名義の普通預金へ入金する現金も同時に渡され、その預入手続をしていたこと、然もそれが架空名義であること、右架空名義普通預金は公表売上金と並行して小口の現金で毎日入金され、一回、一口の入金額は概ね二千円から一万円までで、一万円を超えるものは少く、銀行の休日の翌日には概ね平日の倍額が入金されており、このことは被告会社の営業が精肉商で現金の小売りがあること、及びその一日の公表売上高が概ね一〇万円未満である事実と相俟つて、右架空名義普通預金への預入が売上金の一部を取りよけたものであることを推定せしめること、右架空名義普通預金の預入額は被告会社の駅前店及び大名町店の公表現金売上高の多寡に、ほぼ比例しており、前記の如く日曜日等銀行の休日の翌日の預入額は平日のそれの概ね倍額となつており、更に年末年始に被告会社の売上高が著るしく上昇しているのに対応して、右架空名義普通預金の預入額も、その頃著るしく多くなつているし、現金売上の多い駅前店の預入額が、売上の少い大名町店のそれより多くなつていること(所論は被告会社の日々の現金売上高と本件架空名義普通預金預入金額とは、昭和三二年六月一日から昭和三四年五月三一日までの期間を取つて検討すると決して比例せず、むしろ二分の一以上の日において現金売上高と普通預金預入高との増減傾向は全く相反していると主張するが(昭和四〇年一一月二二日附陳述書)、日々の現金売上高と架空名義普通預金預入金額との増減傾向が一致しないのは、日曜、祭日等銀行の休日には普通預金の預入が行われないので、その間にズレが生ずる為であつて、一カ月毎の集計を比較するとその増減傾向が一致することは前述の通りである、右架空名義普通預金及びそれからの出金で出来ている定期積金又は定期預金は、被告人と前島宗市とに明確に区分されておらず、被告会社の駅前店(前島宗市が主宰)及び大名町店(被告人が主宰)双方の分が混然として預入、管理され、右各預金の何れの分が被告人のものか或いは前島宗市のものか分明でなく、各自世帯を別にして生計を営む右両名が、その個人資産の帰属を明かにすることなく預金することは通常考えられないこと、以上の各事実が認められるのであつて、右に徴すれば、原審認定の如く本件架空名義の普通預金は被告会社の売上除外金を預入したものと云うべきであり、所論のように被告人及び前島宗市の個人資産を預入したものとは考えられない。
一、所論は、
(一) 被告会社は昭和二八年一一月二五日資本金四八〇万円で設立されたのであるが、設立時に右会社の所有した資産は土地及び社屋のみであり、従来個人営業を営んでいた被告人及び同人の実弟前島宗市が各別に所有していた精肉、食肉加工製品及び活牛の棚卸資産はもとより、現金、預金、売掛金等の受取資産は何れも個人に留保されたままの状態であつた。被告会社は設立後昭和二九年末頃までは、社屋の建設、開業準備等の為実際に事業を開始するに至らなかつたが、実際に事業を開始した昭和三〇年頃においても被告人並に前島宗市の手許に同人等の個人所有資産である前記棚卸商品及び売掛金等の流動資産は留保されたままの状態であつた。当時被告人は手許現金四〇〇万円から五〇〇万円を、前島宗市は手許現金二〇〇万円位を所有していたが、これは、その頃活牛馬の仕入決済は、未だ、すべて現金で行われる慣行になつており、その仕入代金の準備の為被告人等は、このような多額の現金を手許に保有していたのである。ところが昭和三〇年以降活牛馬の仕入について徐々に現金主義が緩和され、小切手による決済が行われるようになつたので、被告人及び前島宗市は右手持現金を税務署に目立たないように銀行員の指導により前記架空名義普通預金に分割して預け入れたものである。
(二)(イ) 右手持現金の外、被告人は昭和三〇年一一月頃松山正三に対し二〇万円を貸付け、その中一三万円を昭和三三年頃返済を受けている。
(ロ) 被告人及び前島宗市は多古和隆に土地購入資金として合計一一〇万円を貸付け、これに対して昭和二六年頃同人から右土地を転売して得た金銭から二〇〇万円を受領しており、前島宗市は昭和三三年七月頃多古とし子から三五万円を受領している。
(ハ) 被告人及び前島宗市は昭和三〇年当時福井市明里町に牛舎を所有し、それぞれ牛一五頭以上を所有し、被告会社に徐々に仮空名義で売渡して、その代金を受領している。
(ニ) 被告会社は昭和三〇年、実際に営業を開始した頃は運転資金に事欠いたので、当時の大口仕入先であつた天狗中田産業株式会社の代表者中田岩次郎と協議の上、被告人、或いは前島宗市の手持現金で仕入の即時決済を行いながら、右両会社の経理上は買掛金を生じたかのように処理し、後に被告会社が右買掛金の決済をすると同時に右天狗中田産業株式会社から被告人に送金されて来た。昭和三一年九月二九日には九〇万円、昭和三二年二月二〇日には一〇万円、同年四月五日には二〇万円、同年六月二九日には一六万八千円が送金されている。右(イ)から(ニ)の各現金も被告人或いは前島宗市において前記架空名義普通預金に分割して預入れた(控訴趣意書、第一点、二、(七)、昭和四〇年一一月二二日附陳述書、二、)
以上の通り主張する。
然しながら被告人兄弟が昭和三〇年頃六〇〇万円もしくは七〇〇万円位の現金を手許に保有していたことを認めるに足る資料がないのみならず、如何に昭和三〇年頃までの業界の状況が活牛馬の仕入決済に現金を必要としたにしても、六、七百万円もの多額の現金を常時手許に保留しておく必要があつたとは、とうてい考えられない。又商人である被告人等がこのような多額の現金を数年間、いわゆるタンス預金として無利子のまま遊ばせておくと云うことも通常考えられないところである。然も被告人は当時同人等が右の多額の現金を保有していたことの裏付けとして原審において、富士銀行池袋支店に六〇八万円の預金を有し、これを引出した旨虚偽の事実を主張し偽装工作を為した形跡があるのである(原審公判における被告人の供述、記録二一〇六丁から二一二四丁裏、前島宗市の原審公判における供述、一二〇〇丁から一二〇三丁)。殊に所論は被告人兄弟は、税務署の追及を避ける為に、その手持現金を小口に分割して本件架空名義普通預金に預入れた旨主張するけれども原判決挙示の証拠によれば、被告人兄弟は本件架空名義普通預金から引出した、まとまつた金で定期積金をかけ、更に大口のまとまつた金であるその定期積金の満期金で定期預金を設定したり、或いは直接右普通預金から引き出した大口の金で金銭信託や定期預金を設定している。このことは被告人等が架空名義で幾口も普通預金、定期積金、定期預金の口座を設け、右各口座相互の関連を、名義を変え、入出金の日をずらし、又は振替の手続によらず、現金払出、現金預入とする等の方法によつて断ち、以て税務当局からの発見を防止し得ると考えていたことを物語るものである。従つて被告人等が単に税務当局の目をかすめて手持現金を処理するだけの目的があつたのであれば、当初から相当大口の架空名義の定期積金、定期預金、金銭信託等を設定すれば足るのであつて、長い日時をかけて小口の普通預金を推積する必要はなかつたのである。以上の諸事実からも右主張が理由がないことは明らかである。被告人兄弟が多古和隆に対する貸金の返済として昭和二六年頃一、八八三、〇五〇円、前島宗市において昭和三三年七月頃三五万円をそれぞれ受領していること(原審証人多古とし子及び同多古和隆の各尋問調書、原審第一二回公判における証人樋間正勝の供述)、被告人が松山正三に対する、貸金の返済として昭和三三年頃一三万円を受領していること(原審証人松山正三の供述)、被告人兄弟が本件当時生牛約三〇頭を所有していたこと(当審証人谷口清の供述)は何れも所論の通りであるが、右の内多古和隆から受取つた三五万円については、その直後に山一証券株式会社の投資信託に前島宗市名義で預入されて、これは同人の個人資産として査定され、本件の対象となつていない(前掲原審証人樋間正勝の供述、一三二八丁表裏)。所論は被告人等が受領した右現金、或いは生牛を被告会社に売却して得た金銭を本件架空名義普通預金に分割して預け入れたと主張するのであるが、多額の現金を長期間無利子のまま遊ばせておくことが考えられないこと、及び長い日時をかけて小口に分割して預金することが手持現金を税務当局から秘匿する方法としては無意味であることは前述の通りであることに徴し、右主張はとうてい首肯できない。
次に弁護人提出の天狗中田産業株式会社の売上帳写(二八三七丁以下)、原審及び当審証人嶋崎茂雄の各供述によつても所論の如く、同会社からの被告会社の仕入代金を被告人兄弟の手持現金で即時決済し、両会社の経理上は、被告会社に対する売掛金が生じ、その後同会社が天狗中田に入金したように処理したとの事実は認められず、かえつて、かかる事実は存せず、右天狗中田産業株式会社の右売上帳写記載の如き取引が現実にも行われたことが認められる。
結局所論は何れも採用できない。前島宗市及び被告人の原審公判における供述中には所論に沿う部分も存するけれども、前記各証拠と対比し、特に被告人が昭和三五年四月二八日附大蔵事務官若宮俊一に対する質問顛末書及び被告人の昭和三五年七月二七日附検察官調書において、架空名義普通預金中の二分の一、若しくは三分の一位は売上金から除外して預入れたものである旨自白していることに照し(右各調書が信用すべきものであることは後述の通り)、信用できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。
二、所論は原判決認定の如く本件架空名義普通預金預入額を、それぞれ被告会社の売上除外とするならば、被告会社の昭和三一年六月一日から昭和三二年五月三一日までの事業年度の売上総利益率は二五・四三パーセント、売上純利益率は九・二五パーセント、昭和三二年六月一日から昭和三三年五月三一日までの事業年度の売上総利益率は二四・八五パーセント、売上純利益率は八・三四パーセント、昭和三三年六月一日から昭和三四年五月三一日までの事業年度の売上総利益率は二五・七二パーセント、売上純利益率は七・一一パーセントと算出される。ところが中小企業庁が編纂している昭和三四年版「中小企業の経営指標」によれば、精肉小売業の売上高対総利益率は二三・一パーセント、売上高対純利益率は三・五パーセントになつている。被告会社は卸売業を兼業しており、又大口卸売先である福井刑務所に対しては市場価格の二分の一の安値で納入していた事実も認められるので、右経営指標の利益率を下廻ることが予想されるにもかかわらず、大幅に、これを上廻つている。又昭和三七年一月一七日附福井税務署長回答書(一二二九丁)によれば、被告会社と類似の経営組織体であるA店の売上総利益率は一四乃至一八・九パーセント、売上純利益率は三乃至五パーセントである事実に照しても原判決の認定が誤であることは明らかである。以上の通り主張する。
然しながら、売上高対総利益率と言い、或いは売上高対純利益率と言つても、卸、小売の別、地域差、店舗の立地条件、経営者の経営能力等多くの条件によつて左右されるものであつて、絶対的な基準ではない。特に税務署長回答によるA店の利益率は納税申告に基いて算出されたものであるが、一般的に言つて申告納税の場合、納税者が申告する所得は実際所得以下に過少に申告されることは当然考えられるところである。これに対して本件の被告会社の場合は、強制力を伴う厳重な査察によつて調査された結果から算出された数字に基くものであるから、その間に相当の差異が生ずることは当然といわねばならない。以上の諸点を考慮するとき、本件における被告会社の利益率は必ずしも常識を超えた過大なものと言うことはできない。
更に所論は、原審認定の如く本件架空名義普通預金が売上除外であるとすると、昭和三二年六月一日から昭和三三年五月三一日までの事業年度においては牛一頭当りの売上総利益率は四割以上と推計算出され、昭和三三年六月一日から昭和三四年五月三一日までの事業年度については牛一頭当りの売上総利益率は二割四分強と推計算出され、何れも過大であつて、このことによつても原審の認定が誤つていることが明かである、と主張する(昭和四〇年六月二四日附控訴趣意補充書、第二)、然しながら所論の方法による推計が、業界の長期にわたつての利益率の大体の態勢を把握するものとしてはとも角、本件の如き個別的な営業の短期間の実態を、どの程度正確に反映するかと言うことになれば、甚だ疑問である。現に所論の右推計算出の基礎となつた昭和三二年六月一日から昭和三三年五月三一日までの事業年度の被告会社の売上高七九、〇九五、五五二円及び昭和三三年六月一日から昭和三四年五月三一日までの事業年度の同売上高八三、五九二、五九五円について、所論は原審の認定にかかるものとしているけれども右売上高は被告会社が税務署に申告した公表の売上高であつて、原審の認定した売上高は右金額に、いわゆる売上除外分を加算したものである。従つて既にこの点で所論は前提を誤つていて採用できないのであるが、それはさておき被告会社の申告した売上高、その他の金額(被告人は、それが正しいものであると主張する)に基ずいて推計した利益率にしてなお、所論をして言わしめれば過大であり不合理な数字を示していると言うことは、このような推計が必ずしも個々の経営の実態を正しく把握するものでないことの証左と言えよう。
その他所論は、被告会社の売上利益率について、申告売上高を基準として算定したものと、原審認定の売上高を基準として算定したものとの差異の変動率が昭和三一年事業年度から昭和三三年事業年度にわたつて極端に大きいこと、又昭和三一年事業年度と昭和三二年事業年度における食肉の仕入原価とが比例しないことを指摘して、これは原審認定の売上除外が存在しないことの証左であると主張する(昭和四〇年一二月二日附陳述書)、このような推計が必ずしも経営の実態を正しく反映するものでないことは前記の通りであつて以て原審認定を左右するに足りない。
控訴趣意第二点、訴訟手続の法令違反の論旨について
所論は、原判決は被告人の国税査察官若宮俊一に対する昭和三五年四月二八日附質問顛末書を証拠として引用し原判示事実を認定しているが、右証拠は、被告人に対する前後三二回にわたる弾圧的かつ執拗な取調により心神共に疲労こんぱいに陥り、然も妻の入院により通常な心理状態を欠く被告人を誘導して供述させたもので、原審においてこれを証拠とすることに同意したとしても任意性を欠いている。又被告人の昭和三五年七月二七日附検察官に対する供述調書中「売上除外が三分の一位あつたかも知れない」と供述している部分は、前記の質問顛末書において、被告人は同様のことを供述しているので、根拠もないまま真実は何れ明らかになると確信して答えたもので、真実に反し、任意性がない、以上の通り主張する。
然しながら被告人の大蔵事務官に対する各質問顛末書の記載を検討すると、そこに強制、誘導の形跡は認められず、むしろ被告人が、当初は犯行を否認し、取調官に、その矛盾を追及され、調査の為の猶予を求めた上弁解を試み、更にその矛盾を追及されて結局自白するに至つた。その供述の経過に鑑みると、右供述は自然であり任意的なものと認められる。被告人に対する捜査段階での取調が三二回に及んでいることは所論の通りであるけれども、右取調べは約一〇カ月にわたつて、不拘束のまま行われたもので、然も取調回数が多くなつたのは、主として被告人が大蔵事務官の取調に対して、再三自己に有利な資料収集の猶予期間を求めて延引したことによるものであることが、右各質問顛末書の記載から認められるのである。原審第二〇回公判における証人樋間正勝、同若宮俊一の供述によつても、その取調が強制、誘導を伴うものではなかつた事実が認められるのであつて、原審及び当審公判における被告人の供述中には所論に沿う部分が存するけれども右各証拠に照し信用しがたい。論旨は採用できない。
控訴趣意第三点、量刑不当の論旨について
所論は、仮に被告人両名が有罪であるとしても、被告人は福井県食肉業界の発展のために永年尽力し、顕著な業績を残しており、他方家畜商は禁錮以上の刑に処せられた場合、その資格を停止されることとなつているので、特に被告人は罰金刑を以て処断せられたい、と主張する。
然しながら記録を調べ当審における事実取調の結果を参酌すると、本件は三年間にわたつて所得合計一五、七七八、五四一円、法人税合計五、九七三、五四〇円の巨額を逋脱したものでその動機に特に同情すべき事情は認められず、その方法は極めて巧妙、計画的であつて悪質な犯行である。然も被告人は原審において前記の如く自己の罪責をくらます為に偽装工作まで試みる等反省の色が認められないのであつて、以上の情状に鑑みると原審の量刑は決して重過ぎるとは考えられないので、本論旨も採用できない。
以上の通りであつて、本件各控訴は理由がないから刑訴法三九六条により、これを棄却し、同法一八一条一項本文により当審における訴訟費用は被告会社に、これを負担させることとして主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 小山市次 裁判官 斉藤寿 裁判官 河合長志)
控訴趣意書
被告人 株式会社前島商店
外一名
右両名に対する法人税法違反被告事件の控訴の趣意は次のとおりである。
昭和四〇年二月一六日
弁護人 井田英彦
弁護人 小酒井好信
名古屋高等裁判所金沢支部御中
第一点 原判決は明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認がある。
一、原判決は、被告人株式会社前島商店が昭和三一年六月一日以降昭和三二年五月三一日迄の事業年度において昭和三六年押第五号証第六二号の七乃至一九の各普通預金元帳預入の金額の内、合計金六、三五四、〇九三円に相当する金額につき売上を除外し、更に簿外預金の受取利息合計金五三四、八七九円の計上を除外し、昭和三二年六月一日以降昭和三三年五月三一日迄の事業年度において昭和三六年押第五号証第六二号の一六乃至二七の各普通預金元帳預入の金額の内、合計金五、九九四、九四九円に相当する金額の売上を除外し、更に簿外預金の受取利息合計金七〇五、三二〇円の計上を除外し、昭和三三年六月一日以降昭和三四年五月三一日迄の事業年度において昭和三六年押第五号証第六二号の二五乃至三五及び同押第五号証の四一の各普通預金元帳預入の金額の内、合計金四、一九一、八〇〇円に相当する金額の売上を除外し、更に簿外受取利息合計金一、〇五三、一〇八円の計上を除外したとそれぞれ認定しているが、右認定は次に述べる事実から明らかに誤認に基づくものである。
二、右認定の基礎となつている架空名義普通預金、定期預金及び定期積金はいずれも被告人前島万太郎及び同人の実弟である前島宗市の個人所有資産であり、被告人株式会社前島商店所有の簿外資産ではない。
(一) 被告人株式会社前島商店は昭和二八年一一月二五日、資本金四八〇万円で設立された法人であるが、設立時において右被告人会社が有した資産は土地及び社屋のみであり、従来個人営業を営んでいた被告人前島万太郎及び同人の実弟である前島宗市が、各別に、所有していた精肉、食肉加工製品及び活牛の棚卸資産は勿論のこと、現金預金、売掛金等の受取資産はいずれも個人に留保されたままの状態であつた。右被告人会社は昭和二八年一一月二五日設立されて以降、昭和二九年末頃迄は、社屋の建設、開業準備等のため実際に事業を開始するに至らなかつたが実際に事業を開始した昭和三〇年頃においても被告人前島万太郎並びに前島宗市において個人所有資産である前記棚卸商品及び売掛金等の流動資産を同人等の手許に留保されたままの状態であつた。
右事実は被告人前島万太郎の公判廷における供述中「個人営業時代の売掛金を含めて手許現金四〇〇万円乃至五〇〇万円を有していた」旨の部分及び前島宗市の公判廷における供述中「会社設立当初、手許現金二〇〇万円位を有しており、昭和二九年頃から昭和三四年頃まで、これを分割して架空名義普通預金口座に入金していた」旨の部分に照らして推認することができる。
(二) 被告人前島万太郎並びに前島宗市は、右手許現金を右被告人会社が実際に営業を開始するに至つた昭和三〇年頃迄は、常時現金決済の慣行のある活牛馬の仕入代金の準備のため手許に留保し所持していたものである。
右事実は被告人前島万太郎の公判廷における供述中、活牛馬仕入の決済につき「すべて現金取引で行われ、福知山の市場では福井銀行、佐佳枝支店の保証小切手でも通用しなかつた」旨の供述並びに第三一回公判廷における証人宮森太郎の供述中「代金は活牛を持つていつた都度受取り、売掛金を残すことはない」旨述べていることからもこれを推認することができる。
(三) 昭和三〇年以降、活牛馬の仕入につき、徐々に現金主義が緩和され、小切手による決済が行われるようになり、これに従つて従来被告人前島万太郎並びに前島宗市が所持していた手許現金を昭和三六年押第五号証第六二号の七乃至三五及び同四一の各架空名義普通預金に分割して入金するに至つた。右分割預入の理由は、被告人前島万太郎並びに前島宗市の両名が当公判廷で供述しているように、税務署に目立たないようにという趣旨で銀行員の指導により分割して預入れたものであることは明らかである。
(四) 被告人前島万太郎は右手持資産の外、昭和三〇年一一月頃、松山正三に対して金二〇万円を貸付け、右金員中、内金一三万円を昭和三三年春頃受領していることは証人松山正三の当公判廷における供述と照らして明白である。右受領した金一三万円は、前記架空名義普通預金に直ちに預入れられている。
(五) 被告人前島万太郎並びに前島宗市は多古和隆に土地購入資金として合計一一〇万円を貸付け、翌二六年頃右土地を転売して得た金二〇〇万円の返還を受け、合計金九〇万円の利得を手許現金として保有するに至つたこと、及び前島宗市は昭和三三年七月頃多古とし子から同人の夫、多古和隆の経営する学校法人武蔵野平安学園所有の土地である、東京都武蔵野境字本和二〇九の二及び二一〇の二及び三所在宅地合計一二一坪九合一勺を売却した際、右売買代金一九五万円の内金三五万円を受領していることは、いずれも前島宗市の当公判廷における供述、多古とし子の大蔵事務官若宮俊一に対する昭和三五年三月二日付並びに大蔵事務官樋間正勝に対する同年一月一三日付質問顛末書に明らかなとおりである。
(六) 被告人前島万太郎並びに前島宗市は昭和三〇年当時、福井市明里町に牛舎を所有し、それぞれ牛一五頭以上を所有し、右被告人会社に徐々に架空名義で売渡し、右売買代金は逐次前記架空名義普通預金に預入れられたものである。
(七) 右被告人会社は昭和三〇年実際に営業を開始した直後、運転資金に涸活していたので、当時右被告人会社の大口仕入先であつた天狗中田産業株式会社代表者中田岩次郎と協議の上、被告人前島万太郎の個人資産である手許現金で、仕入の即時決済を行ないながら、右両社の経理上は買掛金を生じたかのように処理し、後に右被告人会社が右買掛金の決済をすると同時に、右天狗中田産業株式会社から被告人前島万太郎に送金されてきたものであり、これらの金額は多い場合、金三二〇万円に達した。右事実は被告人前島万太郎及び宮森太郎の当公判廷における供述から、これを推認することができる。
三、原判決の認定のごとく、前記架空名義普通預金預入額をそれぞれ、被告人会社の売上除外額とするならば次に述べるごとく、被告人会社の昭和三一年六月一日以降昭和三二年五月三一日迄の事業年度の売上総利益率は二五・四三パーセント、売上純利益率は九・二五パーセント、昭和三二年六月一日以降昭和三三年五月三一日迄の事業年度の売上総利益率は二四・八五パーセント、売上純利益率は八・三四パーセント及び昭和三三年六月一日以降昭和三四年五月三一日迄の事業年度の売上総利益率は二五・七二パーセント、売上純利益率は七・一一パーセントと算出される。
(一) 中小企業庁が編纂している中小企業の経営指標昭和三四年版第二八八頁の精肉小売業の売上高対総利益率によると二三・一パーセント、売上高対純利益率によると三・五パーセントとなつている。
右被告人会社は被告人前島万太郎の当公判廷における供述中「株式会社前島商店は小売が六乃至七で卸売が四乃至三の割合である」と述べているごとく卸売業を兼業していること、又大口卸売先である福井刑務所に対しては、市場価格の二分の一の安値で納入していた事実も認められるので、右経営指標の利益率を下廻ることが予想されるにも拘らず大幅に上廻つているのみならず、昭和三一年六月一日以降昭和三二年五月三一日の事業年度の売上純利益は二倍以上となつている。
(二) ちなみに昭和三七年一月一七日付福井税務署長回答書によれば、被告人会社と類似の経営組織体であるA店の売上総利益率は一四乃至一八・九パーセント、売上純利益率は三乃至五パーセントと回答されている事実に照らしても原判決の誤認であることは明らかである。
(三) 前述した右被告人会社の売上総利益率並びに売上純利益率算定の基礎は次のとおりである。
(1) 昭和三一年六月一日以降昭和三二年五月三一日迄の事業年度につき、
簿外売上分 六、三五四、〇九三円
純売上高(公表) 六七、五六八、一八二円
売上高合計 七三、九二二、二七五円……(イ)
売上原価(公表) 五五、一二〇、八七六円……(ロ)
売上総利益((イ)―(ロ)) 一八、八〇一、三九九円……(ハ)
売上純利益(原判決にいわゆる改訂課税総所得+事業税引当金)
六、八三四、一二〇円……(ニ)
売上総利益率((ハ)/(イ)) 二五・四三パーセント
売上純利益率((ニ)/(イ)) 七・一一パーセント
(2) 昭和三二年六月一日以降昭和三三年五月三一日迄の事業年度につき、
簿外売上高 五、九九四、九四九円
純売上高(公表) 七九、〇九五、五五二円
売上高合計 八五、〇九〇、五〇一円……(イ)
売上原価(公表) 六三、九五五、五四九円……(ロ)
売上総利益((イ)―(ロ)) 二一、一三四、九五二円……(ハ)
売上純利益(原判決にいわゆる改訂課税所得+事業税引当金)
七、〇九七、八二〇円
売上総利益率 二四・八五パーセント
売上純利益率 八・三四パーセント
(3) 昭和三三年六月一日以降昭和三四年五月三一日迄の事業年度につき、
簿外売上高 四、一九一、八〇〇円
純売上高(公表) 八三、五九二、五九五円
売上高合計 八七、七八四、三九五円……(イ)
売上原価(公表) 六五、二〇五、〇一五円……(ロ)
売上総利益((イ)―(ロ)) 二二、五七九、三八〇円
売上純利益(原判決にいわゆる改訂課税所得+事業税引当金)
六、二三九、〇二〇円
売上総利益率 二五・七二パーセント
売上純利益率 九・二五パーセント
第二点 原判決は訴訟手続に法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすこと明らかである。
その原判決の理由中被告人の国税査察官若宮俊一に対する昭和三五年四月二八日付質問顛末書を証拠として引用し事実を認定したが、右証拠は、被告人に対し前後三二回に亘る強圧的且つ執拗な取調べにより、心神共に疲労こんばいに陥り且被告人の妻の入院により通常な心理状態を欠く被告人をして誘導せしめて供述させるに至つたものであり、原審において右証拠調に同意したとしても任意性を欠くものであつて、証拠能力を認めることはできないから、之が訴訟手続に法令の違反がありその違反は判決に影響を及ぼすこと明らかである。
(最高第二小法判昭和三〇年一二月二六日裁判所時報二〇〇号二〇頁参照)
殊に被告人の昭和三五年七月二七日付検察官に対する供述調書中「売上除外が三分の一位あつたかも知れない」と供述している部分は、査察官若宮俊一に対し三分の一と供述しているので、根拠もないまま、真実はいずれ明らかになると確信して答えたものであつて、真実に反し自己の任意性なきことを明らかに立証するものであつて措信することすらできないものである。
第三点 原判決は量刑が不当である。前述の事情から被告人両名は無罪であることを確信致しますが、万一、有罪の判断がなされるとしても殊に被告人前島万太郎は福井県食肉業界の発展のために永年尽力し、顕著な業績を残しており、他方家畜商は禁錮以上の刑に処せられた場合、その資格を停止されることとなつている事情を御斟酌の上、温情ある罰金刑の御裁判を賜わる様上申致します。
尚第一審判決後押収されていた証拠書類が換付せられ之が石炭箱七杯あり之を整理して控訴趣意に上申することは時間の関係上許されませんでしたから後日補充して控訴趣意を申述べる予定でございます。